台湾カステラの店、名東現烤蛋糕は吉祥寺にも店ができたようだが、宿から徒歩七分で吉祥寺より近いので散歩がてら行くことにした。
檳榔屋さんを眺めたり
※檳榔とは興奮、酩酊感のあるタバコのような位置付けの嗜好品。噛むと口の中が真っ赤になる。
檳榔お土産にいいかもなぁと思ったけど規制されてて持ち込み画面。
剣獅子じゃなく、シーサーっぽいのもいるけど、これは何だろう。(台湾人の友人に要確認)沖縄近いし普通にシーサーなのかな?
どこか見たことあるキャラクターがいて、絶対許可とってなさそうな…
コロナ前の名東に、1時間くらい並んだ記憶だけど、今回ほぼ並ばず。
(原味)オリジナル味。ミニマムサイズ10センチ✖️20数センチで62元。半分も食べきれない。非常食にしよう。
名東現烤蛋糕
宿に持ち帰り、2階から行きゆく人を眺め台南に住んでる気分を味わう。
それどころか、日本統治時代の建物のエリアから眺めると、その時代の人になったような。(日本から連れてこられた、ねえやあたり)清朝、台湾時代、それぞれのエリアで気分が変わる。
日本時代のエリアの窓。
こんな窓ガラス今やどこも作ってないだろうな。トイレもシャワーも階段の下とか、シャワーに荷物置くところがないとか、音が響きやすいとか、いろいろあるけれど、その不便さを越えてもなお魅力ある宿だった。
そして、今度こそ高雄に移動だ。石獅下鮮果氷城に寄ってから。
向かいの孔子廟は一瞬ちらっと入っただけだけどここは2回入った。リスが木の上を走ってる。
あの鳥籠は毎回持ってきてるのかな。
いちごミルクで一杯飲む。75元。
ふつう。だけどまぁ、この時期の台南の日陰が1000000元の価値ありの心地よさ。
日本国内旅行もたくさんしたし、国内も素晴らしかった。(とりわけ京都好きで移住したくらいだし)
でも、誰も私を知らない場所に行くことでしか、異邦人になることでしか癒せないものがある。自分が溶けて無くなって、風が吹いて消えていくみたいな心地よさ。
何者にもなろうとしなくてもよく、なれと強制されるようなこともない、誰に気にもとめられない、ただの通りすがりの旅行者になることで、自分にかえることができるからではと。
こうあるべき、こうならないと、そうしろ、他人や社会や情報や自分ですらからのインストールされたあれやこれ。
それらが、ひとつひとつはがれていき、もしくは、本来澱などなかったと気づくための儀式。
インドネシアのジャワ島の人が、友人に「色々あった時には一度、島を出るといい。糸みたいに絡まった色々なものがほどけて消えるから。」と言ったそうな。それと島を一旦出ると呪いも消えるとのこと。
なるほど。
問題は一旦置くとうまく行くこともあるし、まぁいかないこともあるんだけども、違う島(土地)にいくと価値観違うし、そこを通すと客観視できるし、そうしたら別の道に気づいたりね。それが絡まりをほどく行為っていうことなのかな。(後で詳しく聞いてみよう)
島の数だけ異なる価値観。宗教も違うしな。
しかし、「島を出る」か。
インドネシアって、島がたくさんあるし、違う島に行きやすいよね。
国外のことを想定した言葉ではないんだろうな。(インドネシア人のパスポートの保有率も要確認)
それと、日常会話でさらっと「呪い」ってワードが出てくるのは、さすがブラックマジックもホワイトマジックも未だ生きてる国。
マレーシア人の友だちは普通にバリバリに現代なビジネスマンなんだけど電車の中で「あの人ブラックマジックにかけられてる」とか普通に日常会話に出てくるようで、異文化だなと。
でも日本も朝から、テレビで占いとかやってるから似たようなものか。
ならば、内陸の国はどうすればいいんだろうと思ったが、キルギスのゲストハウスで聞いた話を思い出した。
「霊感ある人が幽霊に取り憑かれて、肩が重くなったんだって。でも陸路で国境越えた瞬間から肩が軽くなったんだって。おばけは国境越えられないんだって」
じゃあ、空路の場合は日付変更線を越えればいいのか。